相続というものは誰にでも発生するものです。
ある日突然相続が発生し、親族間での紛争の火種になってしまうこともあります。
そのため、相続対策というのは、どなたにとっても大切なことになります。
本コラムでは、どなたにとっても重要な相続対策のうち、「医師」の方に焦点を当て、医師の相続の特殊性や親族間での紛争避けるための対策(遺言書の作成)について、説明をします。
被相続人が「医師」であることの特殊性(財産的側面)
医院・クリニックの経営資産
医師の場合、預貯金や自宅不動産といった一般的な相続財産のほかに、特殊な考慮が必要な相続財産が含まれている場合があります。
例えば、個人経営の病院として経営されている場合、すなわち、個人事業主の場合には、院長個人の資産に加えてクリニックに関わるの資産も相続の対象になります。
クリニックに関わる資産としては、クリニックの建物、医療機器、車両、医薬品、診療報酬の内未受領分などがあります。
上記であげた資産にはクリニックの存続に不可欠な資産も含まれているでしょう。
自分の死後の病院について考えるのであれば、クリニックの存続に必要な資産をきちんと後継者に引き継ぐことができるように、これをどのように相続させるかを明確に示しておく必要があります。
もし、クリニックが医療法人となっている場合には、クリニックの資産は法人に帰属しており、院長個人としては、当該法人の株式(または出資持分)を保有していることになります。そのため、持分が被相続人自身にどれだけあり、それがどのように相続されるべきなのかを示すことになります。
診療報酬債権など流動資産の明確化
院長の死後、遺された人々が債権を回収していく際に、どのようなものがあるかわからなければ回収に手間がかかることになります。
いつ、どの患者さんに対して発生したのか、未納なのか、既に支払われているのかを明確にして、今後病院経営を引き継ぐ人にも把握できるようにすることが必要です。
被相続人が「医師」であることの特殊性(医業承継の側面)
後継者(子や勤務医)の指定
院長の死後も病院を続けていく場合には、その後継者についてもきちんと定めておく必要があります。後継者になりうる人が複数人いる場合にはどのように引き継がせるのかを示すような言及が必要です。
また、後継者となるべき人とそうでない相続人との間で紛争が起きそうな場合には、財産の分与方法等であらかじめその芽を摘んでおけるようにしなければなりません。
後継者となる予定の相続人とその他の相続人との間では、相続にすることになる資産に大きな差が出てくることも珍しくありません。せっかくこれまで経営してきた医院が、相続争いを機に経営の存続が困難となってしまうようなケースもあります。
そのため、後継者以外の相続人への配慮も必要になります。
医院の廃止か継続かの意思表示
自分の死後、医院をどうしていくのかについては、相続人が決めることではありますが、遺言者本人としては、どのように考えているのかを伝えておくことも大切です。
遺言書を作成する際には、そもそもクリニックをご自身の代までとするのか、それとも、次の代に引き継ぐのか、その点についての考えもきちんと明記しておくことが望ましいでしょう。
遺言の方式と法的効力の確認
これまで被相続人が医師であることの特殊性について説明をしてきました。
ここからは、上記の特殊性を踏まえた上で、どのような対策が必要になるのかについて、「遺言」による対策に焦点を当てて説明していきます。
遺言は、遺言者が自身の最後の意思を示す手段です。死後に、意図に従った効果を発生させることができます。しかし、死後に効果が発生する分、その意思が本当に故人の真意に従ったものだと周囲の人が確信できるように、その要件は厳しく定められています。
自筆証書遺言 vs 公正証書遺言の選択
自筆証書遺言は、遺言者が遺言書の全文、日付、氏名を自分で書いて、押印して作成する方式の遺言です(民法968条)。
公正証書遺言は、遺言者が遺言の内容を公証人に伝え、公証人がこれを筆記して公正証書による遺言書を作成する方式の遺言です(民法969条)。
自筆証書遺言は、基本的には専門家等の手が加わることなく、ご自身で作成します。さまざまな決まり事を自分で調べ、それに沿ったものを作成することになるのです。法律のことは、専門家であってもしばしば解釈が難しいものです。曖昧な知識に基づいて作成すれば、ご自身の最後の意思表示が有効なものとは認められず、その意思が実現しなくなってしまうこともありえるのです。
他方で、公正証書遺言では公証人という法律の専門家が関わって作成されます。この方法の場合は、形式面で無効とされる心配はありません。
そのため、遺言が無効となってしまうリスクを避けるという観点からは、公正証書遺言の方が望ましいと言えるのではないかと思います。
保管方法の違いと検認の必要性
公正証書遺言の遺言書は公証役場に保管されます。その保管は、遺言者が亡くなり遺言書が必要になるときまで、半永久的になされます。そのため、他者が手を加える事はできず、隠されたり、内容が書き換えられたりする心配がありません。
一方、自筆証書遺言の遺言書は特に保管場所や保管方法の定めはありません。例えば遺言者の家に保管することなども可能です。手軽な一方、この方法では、もし悪意ある人がその遺言書を見つけたら、その人の都合のいいように変えてしまうことや、隠してしまうこと、捨ててしまうことができてしまいます。
また、悪意がなくても何かの手違いでなくしてしまうこともないとはいえません。
そこで、民法は遺言の制度を正しく運用するために、「検認」という手続きを設けています。検認では、遺言者がなくなった後に、相続人に対し遺言の存在とその内容を知らせ、遺言書の形状、加筆、削除、訂正の状態、日付、署名など検認の日時点での遺言書の内容を明確にします。公正証書遺言書では、自筆証書遺言とは違い、隠匿や偽造の危険が低いため、検認は必要とはされていません。
そのため、保管の確実性や以後の手続きのわずらわしさの観点からも、公正証書遺言の方が望ましいと言えます。
相続人間のトラブル回避策
上記では、「遺言」という相続対策の手段があることについて説明をしてきました。
ここからは、医師が遺言を作成する場合の具体的な注意点についての説明に移ります。
院内資産と個人資産の区分明記
後継者を決めてクリニックを継いでもらおうと考えている場合には、当然その設備も継承させてあげなければ、その後継者は院長亡き後の医院を経営していくことができません。
しかし、個人経営のクリニックにおいては、生前の院長個人の財産と病院の設備とをあまり区別されていない場合も多いのではないでしょうか。その区別を明確に示さずあいまいなままに院長が亡くなり、相続が始まってしまえば、各種検査機器など、病院の経営にとって必要な設備、財産まで院長個人の財産と同じように遺産分割の対象とされてしまう場合もあります。
病院の存続に不可欠な財産が遺産分割の対象財産に含まれてしまった場合、後継者が設備をまたそろえなければならなくなったり、他の相続人から高く買い取らなければならなくなることも考えられます。
そのようなことになれば、多額の費用が掛かり、院長ご自身が生前大切に守ってきたクリニックの経営が脅かされるようなことにもなりかねません。
こういったことが起きないようにするためにも、病院の経営に必要なものはきちんと他の財産とは区別し、後継者が受け継ぐことができるようにしておかなければなりません。
しかし、そのことで他の相続人の利益を著しく害するようなことになればそれもまた、争いごとの原因にもなり得ますので配慮が必要です。その点について次の項で解説します。
遺留分への配慮と付言事項の活用
民法では、被相続人の相続財産について、一定の法定相続人が、一定の割合で財産を承継できることを保証する制度があります。それが、遺留分です。
被相続人は本来自身が有していた財産を自由に処分することができるはずですが、一方で、遺産の相続は残された相続人の生活にも関わることがあります。この両立を図るのが遺留分であり、医師の死後に発生する相続であっても、当然この制度の適用を受けます。遺留分の基本的な知識については、遺産分割について解説している「希薄で複雑化した親族関係での遺産分割協議に潜む落とし穴」でも説明していますので、ぜひご参照ください。
では、医師が遺言書を作成する場合にはどのように注意すればよいのでしょうか。
最初にも触れたように、被相続人が個人経営の医師である場合には、クリニックの機器もまた、相続の対象になります。そして、後継者に対してそのすべてを承継させるような場合には、遺産の多くがその後継者に受け継がれることになります。
このような場合に、他の相続人から遺留分侵害請求(遺留分権利者が、その遺留分を侵害された場合に金銭を請求すること)を受ける可能性があります。
遺留分侵害額請求への備えとしては複数の方法が考えられます。
後継者以外にも一定の財産を相続させることで、相続人の遺留分が侵害されないような遺言書が作成できるのであれば問題はありませんが、このような方法を採れないようなケースも多く存在します。
このようなケースの場合の対処法として、ここでは、遺言書の「付言」を活用するという方法を紹介します。具体的には、遺言書に事業用財産は遺留分侵害請求の対象としないことを記載しておくという方法になります。
被相続人の意思を明確に示し、その内容を相続人が尊重し、それに沿った行動をすれば、その付言は事実上の効果をもたらすことになるのです。
しかし、この付言には遺言としての法的効力はなく、相続人を必ずしも拘束できるものではありません。相続人間の関係性や遺言者との関係によっては、付言への記載が、相続人に対して、遺留分侵害額請求という手段の存在を告知することにもなりかねません。そのため、付言事項を活用するか否かは、慎重に検討すべき場合もあります。
専門家との連携の重要性
弁護士への相談
ここまで見てきたように遺言を作成する際には形式面の制約も多く、少し間違えればその効力にも関わってきます。また、その内容を考えるにあたっても死後の円滑な相続、その後の周囲の方の安寧を実現するために配慮すべき事項がたくさんあります。
多くの時間と労力をかけて遺言の書の内容を考えたとしても、これが自分の死後に有効なものとして機能しないのであれば、その努力が報われなくなってしまいます。
ご自身の最後の意思表示としての遺言を、適切で効果的なものにするために、専門家からアドバイスを受けるのも一つの手段といえるでしょう。少しでも迷うことがあるのであれば法律の専門家である弁護士に相談するのが効果的です。
弁護士に相談すれば、作成する遺言書が形式的な要件を満たさず無効になってしまうというリスクを軽減することができるだけでなく、必要に応じて他士業の専門家とも協力して、遺言者の思いを反映した遺言を作成することが可能になります。
税務対策(相続税・譲渡税)の検討
クリニックを経営している場合には使用している機器も多く、一般的なご家庭よりも相続の対象となる財産が多いことが予想されます。相続財産が多ければ、当然に、税金も高額になります。
遺された人々が高額の税金の支払い義務を負い、頭を悩ませることがないように、生前から税金への対策をしておきましょう。
定期的な見直しと更新
医院の経営状況や相続人の状況に応じて
もしものことに備えて、早めに遺言書を作成することは大切ではあります。しかし、その時々でクリニックを取り巻く状況は変わります。相続対象となる機器の入れ替えなども定期的に行うでしょう。後継者にと考える人が変わるようなこともあるかもしれません。
最後の意思を示すべき遺言が、ご自身の意思をきちんと表したものになるよう定期的に見直しをしておくことが大切です。
古い内容が有効性を損なうリスク
遺言書に記載されていない財産は別途遺産分割協議の対象となる場合がありますので、遺言書を作成する際には、自身の資産を漏れなく記載することが大切です。
また、遺言書の作成から相続発生までの期間が長期化すると、記載されていないものが存在する・記載したものが存在しないなど、遺言者の資産状況に変化が出てくる可能性が高いです。
このような場合であっても、作成した遺言書全体の効力が直ちに否定されることは無いかもしれません。しかし、相続財産の一部のみについて言及されている遺言書が出てくると、残された相続人の混乱を招くことは明らかでしょう。
そのため、遺言書は一度作成して終わりではなく、定期的にその内容を見直すことが大切です。
ここまで、医師が遺言書を作成する場合についてみてきました。
遺言書は最後の自身の意思表示として大切なものです。適切に作成・管理され、その意思が実現されるようにしたいものです。そのために、専門家からアドバイスを受け間違いのないように作成しましょう。
アトラス総合法律事務所には豊富な経験と知識を持った弁護士が在籍しています。小さな事であっても、お困りのことがある場合にはお気軽にご相談ください。